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第42話 師匠の、林邦史朗という方は。(2016年11月)

●1日だけの公演(2016年)でしたが、「陽月姫と侍」が終了致しました~。

 わざわざ、八王子まで足を運んで下さった皆さま、ありがとうございました。
 そして共演者の平山久能さん、そして演出家で作曲、振付も手掛ける中山絵美さん。
 ハートフルなコーラスを添えて戴きました、(サンガツ・オモシアトラム)の皆さん。
 そして、ステキな太鼓と笛の音を添えて下さった、めじろ太鼓の皆さま☆
 本当に、ありがとうございましたーっ。 (^_^)/

●さて実は、私こと山野亜紀なのですが★

 この日は、「新聞紙を丸めて体験!ちゃんばらワークショップ」も開催していたんですが、、、 👀
 本当は、劇内の殺陣を体験して戴こうというプランだったのですが、お子さまの参加が多かったので、急にプランを変更(!)
 「熱血!決闘体験講座!!」に様変わりをしてしまったので、久しぶりに戦いました。 (^_^;)

 林邦史朗先生が存命の折には、もともとは先生考案の林流・護身術(後に、侍とニンジャ体術と改名★)」を広めるべく、8年にも及ぶワークショップを開催していた私ですが。 😅💦
 その折、これまた林先生の考案の短棒で、(警棒ほどの長さで、グラスファイバーの周りはスポンジ巻、なので痛くない☆)での、短棒術
 通常は「顔に面を付けて戦います」が、今回は用意出来なかったので、頭部に突きはNGとしました。 (゜_゜ )

 この短棒はまた「刀に見立てている」ので、どこを斬られてもダメですし、どこを狙ってもOK!という稽古方法なんです。👀 
 以外に、子供が大人に勝ててもしまったりするので、どなたにでも楽しめます。
 この日は新聞紙を丸めて刀に見立て、小さいお子さんを相手に、とにかくひたすら戦いました。 😅💦

●さてところで、私の殺陣の師匠の今は亡き林邦史朗先生についてなんですが★

 林先生が亡くなられてもう1年(2016年現在★)になりますが、今こうして振り返っての邦史朗像について語ってみたいと思います。 👀
 ちなみに林先生という方は、1939年1月1日産まれであると、著書やHPには記載があります。
 ・・・ではあるんですが、この年は第二次世界大戦勃発の2年前になります。

 当時の日本は、数え年という方法で、年を数える」傾向があり。
 産まれたら1歳と数えて、「お正月を超した処で、日本人が一斉に年を一つ取る」という数え方をしていました。 👀
 林邦史朗先生は年の暮れに産まれたとの事ですが、とにかく兄弟の多い家であったそうで、ご両親はもちろん、ご兄弟の皆さまも実は、先生の誕生日を誰もキチンと覚えていなかったのだとか★ (-_-;)

 そして、これは余談なんですが。
 私こと山野亜紀の、今は亡き母も実は、出生届が1ヶ月遅れて出されていた人です。 👀
 そして「私の母方の祖父(明治生まれ)」なんかは、やっぱり事情があって2年ほど(!)
 年齢を繰り上げて、出生届が出されたそうで・・・まぁ、何ということでしょう!
 けっこうにルーズだったんですよね、当時の日本って・・・おほほ★ (^▽^;)

●そして、私なんですが。

 今年は紹介して下さる方もあって、四柱推命(しちゅうすいめい)という中国の占いの鑑定士の資格を取りました
 その理由の一つには、「林邦史朗という人を、師匠という立場以外で、人間としてもっと深く知ってみたい」と思うようになったからなのでありました。 👀
 はてさて、占いで果たして林先生の誕生日なんかも判るモノなんでしょうか・・・?

 四柱推命というのは、統計学です。 👀
 自分の産まれた年月日で占うのですが、どちらかというと産まれ持った星はコレコレで、人としては・・・こういう傾向があるよ、といった感じです。 (‘_’)

 本来は時間も合わせるので、年柱、月柱、日柱、時柱で見るからこその四柱推命なんですが、「時柱は、その人が亡くなった後にどのように評価をされるか」といった事であるらしく。
「死んでからの事を気にしても・・・」
 と考えられた先生が、この三柱のみに絞ってと工夫をされた様式だそう。 (゜_゜ )

 はてさて。
 林先生が産まれた年の年末から年初に掛けての数日を弾き出し、一応の鑑定をしてみて、ようやくですが。
「おそらく、この日であっただろう」
 という一日を、何とか弾き出すことが出来ました。 (〃∇〃)

●一番の決め手は、「食神(しょくじん)」という星でした。

 この星の特徴は、とにかくワイワイ賑やかにしているのが大好き で、食べるのも大好き!
 そして、歌が大好きな星なんです♡
 いつもいつも林先生って、それもどうしてだか判らないんですが、
「走れ~、走れ~、いすずのトラック~♪」
 なんて口笛を吹いたり、歌っておられたりする方でした。

 どうして、そんな歌を歌っているのかと尋ねてみますと、
「判らない、なんとなく出て来たから」
 なんて仰る方でした。 😅💦
 ・・・その他には、インスピレーションの星を2つも持ち合わせ。
 そういえば子供の頃から、いつも何かしらして遊んだり、工夫をしたりするのがお好きだったと先生から聞きました。 👀
 そういえば「林邦史朗創始の武劇」で扱う、忍者の武器なんかも例えば、吹き矢などは先生のお手製だとも聞きました。

 忍者の武器なんて、今ではネットで売っているもしれませんが、先生が武劇を創始された1963年の頃には、販売しているモノもなかったのでしょう。 👀
 筒の方はビニールチューブを加工、矢の部分は、紙や釘などを利用して、みんなで作った覚えもあります。
 大工仕事がお上手で、とにかく色々と器用な方でした。

 植物も大好きで、食べられる青シソやハーブ、植木に観葉植物など広く愛し、道端の花や雑木の花を見ると、
「あぁ、きれいだな」
 なんて素直に語る方でした。
「仕事も遊びも、いつか出来なくなる時が来るから、いつも一生懸命にやるんだ」という信条を絶えず持ち続け、とにかくいつも何かしらやっておられるような方でした。
 自分の仕事を頑張る、正官(せいかん)という星をお持ちなので、確かにその通りだなと思っています。 👀

 林先生の一番の自慢は、殺陣のステップである「体捌きABCを考案」した事でした。
 思うに、日本舞踊なら足捌きは特に考えず、全体の振付けとして1曲をそらんじて踊りますよね。 👀
 ところが西洋で言えば、例えばバレエならば、バレエのステップを。
 「ダンスならではの、特有のステップの名前と仕草」を覚えて繋げ、そこに「上半身の振りを足して、ドラマ性を盛り込みます」。

 なので初心者は、まずはステップを学んでから、その後で振付けを覚えて修練し、そのレベルを上げていくんです。
 林邦史朗先生は、世間に先駆けて一番最初に、立ち廻りを解析(!)
 そのステップを考案された方でした。 👀
 ステップが判れば、技は上半身の振付けで変っていきます。

 林先生は様々な武道を修められましたが、その総ての武術自らのステップを通して解析(!)
 合気道も刀法も、長物、古武術に至るまで、このステップを基にされておられ。
 それを私こと山野亜紀は、足かけ17年もの間、林邦史朗先生の代行として殺陣のレッスンを受け持ち続けました。
 現代劇、時代劇、すべてこのステップに乗せて稽古をしていきます♡

●最近の私・・・なんですが。

 東京は高田馬場のスポーツセンターの柔道場や剣道場に通うようにもなりました。
 様々な武術や立ち廻りを楽しむ人の中に交わるようになったので、他の流派の方や大学生、大道芸の方の稽古なども目にするようになり、とても勉強になっています。

 林先生もずっと、必要とあれば例えば九州までも(薩摩示現流とか★)習いに行ったと聞きましたが、今ではこんな公共施設で、様々な方々が稽古をされているのを知れば、きっと喜ばれた事でしょう。 (〃∇〃)

●ところで占ってみると、林先生はスーパーマンでした☆

 「人は5つ星を持って出生」し、「その人生の中で、様々な 星の持つ可能性を、足したり引いたりして生きている」ように、この占いを通して感じているのですが。 👀
 まず勉強して知識を養い、それに伴う活動(営業)をして最後に、ご縁を得て事業に成功する・・・というのが、こちらの占いでの人生のアドバイス方法☆

 これを「三徳」というのですが、林先生は産まれながらに、この三つの星をお持ちでした。
 中には一切持ち合わせていない人もいますし、またそのような方でも、その人生の生き方で、星を足したり引いたりして成功されている方も多くいます。 👀

 林先生はしかも、「変化に対応しまくる運星である、胎(たい)という星を持っておられた」ので、あの激動の戦後はもちろん、テレビ放映開始当初の辺りの、大騒ぎで大変な時代でも創意工夫を凝らしてどんどこと、次から次へ来る波を乗り越え、乗り越えされていかれたのかと思います。

●ところで林先生の、最後の著書なんですが。

 「武道家が考案した、身体にやさしい健康体操 足裏呼吸法」という本の取材の中で、記者さんからの質問なんですが、
林先生が一番お好きな言葉は、何ですか」
 という問いに暫く首を捻っておられたんですが、そうそう、という感じで、
「私は、合理的という言葉が一番、好きかな」
   と、仰っておられました。 👀

 どんな時にでも迅速で、無駄のない動きをモットーとされていました。
 ・・・そこの処を活かして、もっと早くに大きな病院に行っていて下されば何とかなったのではないかとも思うのですが、膵臓癌は発見されにくい癌であるので、どうだったのでしょうか。

●ところで、この「和心きらりHP」なんですが★

 健康アドバイザーの林邦史朗先生を見送って1年になりますが、そのレシピ数がとうとう、500の大台に乗ってしまいました~☆ o(^▽^)o
 毎度毎度、頭をこねくり回して旬食材を考えては、旬エッセイ並びに、この萬エッセイを連載をして来ましたが・・・おや?
 ウチのHPって、巷によくある家庭料理が少ない気が・・・?

 シチューやスープはあるものの、例えばカレーだとか。
 ハンバーグ料理なんかは、フツーのレシピ本には何品か掲載されていたりするのに、何故にこのHPには、これがないのか・・・。
 つらつらと考えるに、ハンバーグやカレーには、「和心きらり」で取り上げている旬がないからでは・・・? 
それでいいのか、「和心きらり」。 ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
 フツーの一般のご家庭でよく食べられているレシピは、公開しなくて良いのか「和心きらり」。

 という事で今月は、井田千春先生にお願いして、「定番の家庭料理」も取り入れてみました。
 目指せ!家庭料理の達人!!
 ・・・2016年も寒くなってまいりましたが、お身体にお気を付けてお過ごしくださいませ♡ (〃∇〃)
 (2016年11月1日 文責・山野亜紀)


 〇2016年11月のお膳

〇のっぺい汁

☆「最近はやりのツブ貝さん、銀杏、化石だ、日本人」~霜月のエッセイ(2016年)

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