Loading

第53話 真剣試斬のイベントを(2017年9月)

●涼風がたつ中で、時折気まぐれのようにやって来る、暑い日射しが★

 ついつい体調を崩される、なんて方もいるようですが、皆さま、いかがお過ごしですか?
 私はといえば、8月の末に知り合いが見付けてくれた道場でのイベントにかかるべく、けっこうに奔走をしておりました。 👀
 何しろ、それまで「武劇館での開催」だったので、何もかも総て揃った状態でのスタートでした。

 今回は、そうはいきませんから、とにかく準備が大変だった訳です・・・。 (^_^;)
 開催をする場所も、これから様々な形で展開をしていく事になる事でしょう。
 ・・・けれども、これもやっぱり私にしか出来ないスタイルではないのかと、だんだんと思えて来るようになりました・・・♡

 これまでは「林先生と共催してきたイベント」ですが、また場所が変ったとしても、先生の教えは教えとして、きちんと正しくお伝えする・・・。
 そこだけは護っていきたいと、考えております。
 なのでどうぞ皆さま、お気軽にお声掛け、お問い合わせ下さいませ。

●・・・はてさて。

 9月の手帳を紐解くと、これらの支度の合間に、歴史勉強会に参加をしていたり。
 はたまた、実家の会社が決算期を迎えるので、その支度に奔走をしたりと何だか、けっこう忙しい時を過ごしていたのですね。 (゜_゜ )
 歴史勉強会では、伊藤博文と高島嘉右衛門の子孫であるという、伊藤弥寿彦さんのお話を聞きに行きました。

 ・・・ところで私はよく、「林流50の構え」をショーに取り入れて披露をしています。
 これは、林邦史朗先生が作られたモノで(女殺陣師・山野亜紀の殺陣講座!として、販売もアリ)、映画で使用される構えやら、日本に現存する剣術流派の構えを50種類も繋げたというシロモノです。 (^_^)v

 その中で、所々で流派ごとの簡単な歴史であったり、歴史的に有名な人物や、その人に拘る事件についてなどでも、説明を加えたりしているのですが・・・。
 伊藤博文についての話も、けっこうよくしているので、私には馴染み深いお方なのでありました♡

●何しろ伊藤博文といえば、明治政府の一員であった井上馨とは、親友というより同志であったお方。

 また、井上さんの子孫の方が運営されている琉球古武術については、林先生を通して私も伝授を受けております。

 ちなみに高島嘉右衛門という方は、お話を聞くと、またすごい人生を過ごされたという・・・そんな、お方でした。
 ・・・頭もそうですが、相当に勘の方もきっと良かったようで、「易を立てる」という言い方をするそうですが、未来を予測する力をお持ちであったよう。 (‘_’)

 井上馨や伊藤博文とも交流があった方なんだそうで、最後に伊藤さんがハルビンに向かう折も、
「悪い卦(け)が出ているので、絶対に行かない方が良い」
 と止めたのに、「どうしても行かなければ・・・」と伊藤は出て行って、そしてかの地で暗殺をされてしまったのだとも。 👀

●ちなみに、ご子孫の伊藤弥寿彦さんという方は、「虫の研究の、第一人者!」であられる方だとか☆

 伊藤博文とも、そして高橋嘉右衛門とも、そうなんですが。
 また、井上馨さんとも血が繋がっているのだそうで、・・・お話を聞いていると案外と。
 とっても「昔の事にように感じている明治という時代」が、実は意外に近いのだなぁ~・・・という気がして、その思いをしみじみ、噛みしめていました。

 そんな訳で(?)
 1年と5ヶ月の間、お休みをしていた真剣刀法の体験ワークショップなんですが。
 2017年の9月の10日に、いよいよ単発ながらも再開となりました。 o(〃^▽^〃)o

 ・・・懐かしい仲間たちに囲まれて、みんなで再開を喜び合い、そしてもちろん斬らせてあげられて・・・。
 私としては、本当にうれしい1日でした♡

●見学された方も、数名いました☆

 ・・・ずっと「はわゆHP(2003年~2015年)」時代からコメントを下さっていた方だったり。
 また、メールを下さっていた武道楽者さんや、いつもの乗馬教室に参戦して下さっている俳優の小栗銀太郎さんが、この日はなんと(!)奥様とご一緒に。
 ・・・残念ながら奥様は見学だけで、試斬には不参加でしたが、こんどその気になったらどうぞです♡

 とにかく、あの日以来、
「ずっと、やりたかったんですっ!!」
 の、参加者の皆さまの声に、背中を押されて・・・。
 その声に、なかなか応えられずに、悶々とした1年と5ヶ月でした。

 そうして、そちこちに足を運んでみては、思い悩み、とうとう二振りの刀を拵えるまでの決意を致しました。
 ・・・何しろ、手持ちの刀だけでは足りないし、「刀の展示会場」を練り歩いたとしても、私には刀の目利きは難しいです★

 なので、人様の助けを借りて選ぶよりも、確実なモノを手に入れて仕上げて戴く方が「より前向き!」であるというより、それしかなかったというのが、実際の処なのでした。

●こうして、手に入れる事が出来たのですが・・・☆

 8年間、林先生と共催していたワークショップの開始以前より、武劇館道場に通っていた濱崎さんという方がいるのですが・・・♡
 今回は初めて、濱崎さんの息子さんも、デビューをさせてあげる事が出来ました・・・☆
 お父さん、ずっとやらせてあげたい、と願っていたんだそうです☆ 👀

 この息子さん、ついこの間まで、私よりもずーーっと小さかったのに・・・今では肩を並べるくらいに大きくなってしまって・・・★
 うぅ、自分のチビさ加減にちょっと、メマイも致します・・・。 (>_<)
 身長156センチの私がとうとう、2尺4寸5分のモノから脇差しまで、5振の刀を所持する人間になろうとは・・・。

●初めて刀を先生から分けて戴いたのは、2002年の暮れのことでした。

 それには、「三日月姫(みかづき)」という名前を付けました。
 「全体として、品が良い刀」なので、女性が持つにはいいだろう、という事で林先生は選んで下さったのだそう。
 (もちろん、お金は払っております♡)
 ・・・そんな彼女は、私を10年以上も鍛え続けてくれて、今も傍にいてくれます。(写真・上)

 その後、林先生から形見の品として「朧(おぼろ)」と脇差しの「十六夜(いざよい)」が形見として授けられました。
 ・・・それで終わりかと思っていたのに、この度、秩父の刀匠・藤𡌛光政氏の刀剣の二振を、分けて頂き・・・。
 それには、拵え(鞘や柄、鍔などの総称)が付いていなかったので、それをまた美濃国へとまた送って・・・。
 (写真・下は刀の鍔で、もっと種類があります)

 待って待って、ようやく7月に到着した長い方の刀を見てみたら、・・・これがいかにもな剛剣です(!)
「・・・これはもう、女性名ではない子だよなぁ・・・」
 と思ったので、そこで一つ考えました。
 これからの人生、これからの私の運命の風や荒波から護り、道を斬り開いてくれる手助けをしてくれたなら・・・なんて、願いを込めたのですが。 😅💦

 その名を知らせて下さる方あって、とにかくも前へ前へとと進んでいけるようにと、長い方の刀(私は勝手に、兄としている)には「風雪」と。
 こちらは、8月のイベントからデビューをしていただき。
 弟の方は9月の末に、ようやくに到着をしたので、こちらは「浪雲」と名が決まりました☆

●私の人生も、これからです♡

 私の許ではけっして、「つまらない事故やケガなんかが、一切起こりませんように!!!」
 そんな願いを込めて、名付けてみました。
 ・・・私も含めて、君たちに携わる者達をたくさん、たくさん楽しませて欲しいし、とってもとっても、鍛えてあげてね・・・♡

 ・・・ところで、お話に聞いた処では、秩父の刀匠の藤𡌛(ふじの)氏というお方は、もとは鉄工所を経営されておられたとか。 👀
 そしてご商売の方は、もういいやと思ったのか・・・?
 そこを譲って、一転して刀鍛冶の許で修行を始めて、一本立ちに。
 ・・・それから、たくさんの刀を造り続けて来られたのだそう。 (゜_゜ )

 川から砂鉄を採ることに始まり、総ての工程を独りで成し遂げておられたという・・・。
 それが、秩父の先生の旧友なんだそうで、お支払いの折に初めてお目にかかり、その日は生涯、忘れられない1日となりました☆
 これからも頑張って仕掛けていくつもりなので、何かの折には皆さま、ぜひお声掛け下さいませ。 (^_^)/
 (2017.9.30 文責・山野亜紀)


 〇2017年9月のお膳

〇ごま団子

☆「命賭けだよ、キノコ狩り、いつから食べたの?キンメダイ!」~長月の旬エッセイ(2017年9月)

関連記事

  1. 第4話 「江戸へ辿る旅路」(2013年9月)

    2013.09.01
  2. 第51話 8月のあれこれ、何をする?(2017年8月)

    2017.08.31
  3. 第47話 お江戸の生き方を、思い知る★ (2017年4月)

    2017.04.01
  4. 第24話 「まいりました、鰹さん★」(2015年5月)

    2015.05.01
  5. 第22話「4年前のお引っ越し☆」(2015年3月)

    2015.03.01
  6. 第16話 「人生、50年と言いますが(?)」(2014年9月)

    2014.09.01
PAGE TOP