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第35話 頼朝に、驚く・・・。(2016年4月)

●2016年4月、東京では・・・ようやく。

 キレイな桜を拝められたかと思いきや、雨が降って一挙に散りまくり(!)
 それでも渋谷区は明治通り沿いや、今年は初めて目黒川の桜も堪能。
 お花見会にも参加して、とりあえず桜だけは堪能できたかも・・・なんて思っていたんですが。

 4月14日に熊本地震が起こり、つくづくこの国は災害の多い国だと痛感した・・・私こと山野亜紀です。
 かの地には、稽古仲間が1人いたので連絡をしてみた処、彼の方は無事だったようですが、熊本城が・・・。
 加藤清正も、震度7には耐えられなかったのでしょうか。
 被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

●さて、林邦史朗先生が亡くなられて半年になりました。

 私の周囲も、随分に変わりましたが、まずご報告があります。
 林邦史朗先生が亡くなられたのを機に、16年携わっていた「殺陣の代理講師の任」から離れて、独立をする事になりました。 👀

 今まで週に多い時では、4日間くらいをタレント養成所などに通って。
 その他には、稽古やイベントで過ごす人生だったのですが、それぞれに見直し♡
 特にイベントは、「林先生と、2人でだからやって来れた」処があり、ただ一人でずっと、ずーーーっとやって行くというのは、かなりムリがあるかもでして★ (^_^;)
 というのは、林先生の代理は私が務めてきましたが、私の代わりにやって下さる方がいないのですよ。
 はぁ~ぁ、孤独★

●かような訳で、ありまして。

 それまでレッスンや稽古で追いまくられていた分、時間に余裕ができました。
 もともとが、「林先生と共催していた、先生創始武劇公演の集客」を考えて、名刺交換会のようなイベントに、けっこうに出席をしていたり。 👀

 林先生のマネージャーを務めていた事もあって、今少し、時代劇の衣装・風俗を勉強できたら・・・という思いがあったからこそ、この「和心きらりHP」も始めたのでした。
 調べ物と歴史が苦手な私が、このHPのおかげで、食べ物を通して、とにかく色々な勉強をしてきたのだけは確かです♡ (〃∇〃)

●さて、先ほどの名刺交換イベントですが。

 それには講演がセット(!)になっていて、戦国大名のご子孫を迎えて・・・というのが多かったんです。 👀
 私も、師匠が50年以上、殺陣・武術指導を務めて来られた方だったとはいえ、自身は歴史が大の苦手(!)だったので、そこを少し攻めてみようか、という試みでした。

 黒田官兵衛のご子孫の話に始まって、武田信玄に木戸孝允、長曾我部元親に行って、西郷隆盛に上杉鷹山、島津義弘・・・などなど。
 ご子孫の方とお会いして思ったのは、皆さんそれぞれ、品が良い事。
 そして、それぞれに講演経験が多いようで、お話が非常に面白かったんです♡

●それまでの、私の人生って恥ずかしながら★

 学生時代は、「歴史の授業は、年号がテストで出るからキライだったんです。
 それは尾を引いて、ウン十ウン年続いて来たのですが・・・。 (^_^;)
 ご子孫のお話をそれぞれに聞いてみて、具体的なイメージが湧くようになったせいか、だんだんと楽しく思えてきたのでした♡
 食事とセットのモノは高価な場合もありますが、朝の勉強会とかなら、私でもお付き合いができます。 (^_^)v

 特に 関ヶ原の戦いなんて、ドラマでは何度も取り上げられているネタなんですが、こうしてご子孫の方からお話を聞くと、「ドラマなら、ナレーションで済まされてしまう説明」を、やれ敵が何人で、こうした事情がこちら側にはあって・・・云々なる説明が細かく聞けるので、とても楽しめました♡

●さて、そんな・・・2016年のお正月の事です。

 家族と2人で、恒例のお正月旅行で九州に行って来たのですが、まずは飛行機に乗って、例の・・・黒田官兵衛が治めていたという福岡の土地で、鯖のお刺身に舌鼓♡
 桜島(鹿児島)へと移動をすれば、今度は西郷隆盛に想いを馳せます。

 本土に移り、島津藩の庭であったという仙厳園に行きました。 👀
 かの関ヶ原の合戦で、「島津の退き口(徳川家康の鼻先を通って、敵中突破をして薩摩に引き上げた話は有名★)」な島津藩ですが。
 仙厳園の説明プレートだったと思うのですが、そこにはこう書いてあったんです。
 「源頼朝(!)より、九州を島津家に任せると言われ、ありがたく拝領し・・・」
 その説明を読んで、私こと山野亜紀は思わず、言っちゃいました!
「頼朝・・・、あなたって人は、なんて太っ腹な人なのよ★」

●・・・九州って広いですよね☆

 こ~んな広大な島を、島津に任せるって言っちゃったのが響いて、ずっと、ずーーーっと幕末まで薩摩藩が続いていったというのが、驚き。 (^▽^;)
「頼朝、言っちゃったんだ・・・」
「うん、言っちゃったんだね」
 などと、家族と語りながら九州から帰って来たんですが。

 またその後日に今度は、明智光秀のご子孫の方のお話を聞く会があって、参加表明をしていた私です★ 👀
 この講演を楽しむ前に、織田信長のお話を聞いておくと良いなるお誘いを受けまして、なんとなく足を運んでみる事に致しました♡
 何しろ、時間に余裕は出来たし、明智光秀という人は、私にとっては、織田信長に
「この、金柑頭っ!!」
 と怒鳴られて、足でゲシゲシと蹴られている印象しかなかった人なんです。 (^^;;

 ところが昨今、新たな資料が発見されたとかで、NHKの「歴史ヒストリア」でも取り上げられ、それも録画して興味深く見ていた私です。 👀
 「本能寺の変には、長曾我部元親に対する明智光秀の思いもあって、敢行された」という説を聞き、その御本を書かれた方の講演と聞いて、興味をもったからなのでした。
 どうせなら、内容が良く判る方が良いものね♡

●さて織田信長のお話も、とても判り易いものでした。

 特に桶狭間の戦いに向けての、信長の繰り広げた情報戦は現代に通じるモノもあり。
 これがドラマなら、ナレーションと状況説明が早過ぎて、私の頭では付いていけなかったかも。 (^▽^;)

 それで楽しく講演は終わったんですが、歴史好きの方がなさる講演にはまた、更に歴史にお詳しい方が参加をされていたりして、そこでまた別のイベントの紹介などもされているようで・・・★
 織田信長のお話がよく判るようにとその方は、3枚程の資料を渡して下さったんです。
「日本の歴史を知る上で、ここを知っていると特に、戦国時代の事も判るようになると思いますよ」
 ・・・とのご好意だったのですが。

●私だって、かの時代には「守護」に「守護代」なる役目がある事は、知っていました。

 時代劇のセリフに出てくるし、本を開けば「国人」なんてのも出てきます。
 ・・・出てはくるんですが、そのハッキリとした意味を知らずに、「多分、何か守っているのね」くらいにしか思っていなかったんです・・・★
 「戦国時代の大名」だから、「戦国大名と呼ばれている」と思っていたんですが、本来の意味って、私の想像とはけっこうに違っていたりしていて。 ( ̄_ ̄ i)

 ちなみに、「小守護代」なる職があるのもその時、初めて知ったのですが・・・。
 こういった役目を作ったのって、源頼朝だというのを、脳みその片隅でそういえばちょっと、思い出してきたよおな★ (^▽^;)

守護・地頭って、そういえば、教科書なんかで出てましたよね・・・。

 源頼朝なんて、私にとっては、たった三代きりで終ってしまった鎌倉時代の将軍で。 👀
 ぱっと出たと思ったら、さっと散っちゃったくらいにしか思っていなかったのに、・・・あぁ、頼朝★
 何だかアナタって人は実は、長らく侍の世の基盤を拵えていた人だったのねぇ・・・としみじみ、思いました。 😅💦

 また日本という国は、頼朝に始まってからは、平家・源氏・平家・源氏といった家柄に治められていたんだそうで、織田信長は平家の流れなんですって、あな恐ろしや、日本史・・・。

 ●私の殺陣の師匠の、林邦史朗先生なんですが。 👀

 その「本名の、邦」という字が実は、この日本の国を表しているのだとも。
 歴史がお好きだからということで、芸名を「邦史朗」としたと聞きましたが、私ともう一人、中川邦史朗氏は歴史が大好きで、彼の歴史話を聞いていると、ものすごく面白くて、
「中川さんが学生時代に、私の歴史の先生だったなら、私の成績も、もう少しは上がっていたんでは・・・」
 なんて、思ったモノだったのですけれど。

 私も病床で「邦史朗の名を継げ」と託されたからには、今少し、というかもっと一杯(!)
 興味深いお話をたくさん聞いて、それをまた様々な事に活かせたらなぁと思った一幕でありました。 (^◇^;)
(2016.4.1 文責・山野亜紀)


〇2016年4月のお膳

〇地鶏の直火焼き 柚胡椒たまねぎソース

◎4月のお膳+お弁当☆(2016年)

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