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第55話 私ってアザラシ?(20174年11月)

●2017年の10月って、私にとっては「とっても分かれ目的☆」な月でした。

 10月は、「殺陣の師匠である、林邦史朗先生の命日」でありながら、「実の父の命日のある月」でもあります。
 父が亡くなって、ウン十年(!)
 ・・・それだけの年月が振り返れてしまう自分に、ホントにびっくりしたりしています・・・★ (-_-;)

「過ぎてしまえばそんな歳月、どって事ないくらいなモンだよ」
 と師匠はよく語っておられましたが、ホントにそうなんだなぁ~としみじみ思いました・・・★ (´_`。)

●その他には、真剣刀法のイベントをしてみたり。

 もちろん平素の稽古にも身を入れたりしていたら、お誘いを受けました。
 「定例の食事会があるんだけど、その時に何か、紹介をしてはもらえまいか?」

 という事だったので、私は意気揚々と愛刀の三日月姫(みかづき)さんを背負って、銀座にまでやって参りましたっ。 (^_^)/
 ちなみに・・・その会合に参加をされているのは、慶応大学の卒業生が多いよう。 (゜_゜ )
 「交詢社」という建物の食堂だったのですが、どんな処かとググってみますと「交詢社とは、日本の一般財団法人」と、紹介がされています。

●交詢社は、1880(明治13)年に福澤諭吉さんが設立っ!

 これを知っただけで、私なんかもはや、どうしていいか判らないくらいな感じになります・・・★ (^_^;)
 何しろ諭吉さんといえば、私にとっては現・2017年の1万円札(!)
 もしくは、大河ドラマに出てくる人物か、・・・てなくらいでしか認識がなかったお方です。

 はてさて、ご紹介して下さった方に聞いてみると、「諭吉さんが、その人生で行われた三大事業!」というのが、以下の通り。

1.慶応大学を、創立した事。
2.自由民権運動を、行ったこと。
3.学校教育を終えて「社会人となった人の社交場」であり、世の中を良くする為のディスカッションの場として、交詢社を創立された事。

 建物自体は、「外から見れば、玄関以外は今時のビル☆」なのですが。
 中身はといえば、「建設された明治当時の建設物から、出来うる限りのモノを移築したもの」・・・なんだそう。 👀

 この建物には、交詢社の会員(実際には「社員」と呼ぶらしく、男性しかなれないんだそう★)の紹介がなければ足を踏み入れる事が出来ない☆との事でした。
 建物の中には食堂はもちろん、図書室もありましたし、屋上にはゴルフの練習場なんかも・・・あるらしく。

 私は初めてだったのでキョロキョロ、キョトキョトとしながら、その会合で出されたお食事を美味しく戴いた後、皆さまの前でお話をしたのでありました♡

●「お話する時間は、30分で」という事であったので。

 色々と考えましたが、皆さまが興味を持ちそうな「侍と刀と所作」のお話とする事にしました。
 ・・・そこで、今回のタイトルについて・・・なんですが★

 林邦史朗先生が亡くなられてから、私は独り、様々な催しに顔を出すようになりました。 👀
 ・・・というのは、今まで殺陣の講師の仕事やイベント、ホームページ制作。
 その他に、「もともと行っていた実家の仕事」をこなしていました。

 なので例えば、「殺陣の稽古」を他所ではどのように行っているのかなんて知らずに、ずーーーっと過ごしてきたんですね。 😅💦
 これを機会に、とにかくたくさんの経験をしてみようかと思い、ずいぶんとあちこちに足を運ぶようにもなりました。

●そこで思ったのですが★

 それまでを「通常の稽古の他にも、イベントを師匠と共催をする日々」であったので★
 私は「師匠の稽古場」にある意味ずっと、縛り付けられていたような状態でした。

 それが突然自由になり、余所を出歩いてみますと。
 同じ「真剣刀法の稽古」にしろ、「殺陣の稽古場」であるにしろ、「師匠の場と、何が違っているのか」が判ってきます。 👀
 また、自主稽古をする時には、自分が稽古をする予定の得物を持っていきますから。 (^_^;)

 途中どこかしらに立ち寄って(例えば、別のイベントとかに参加をしてから★)さて稽古に行こうとすると、たくさんの方から質問を受けてみたり、
「写真を撮らせてもらっても、良いですか?」
 と、尋ねられるようにもなりました。 👀

●これが例えば、釵(サイ)であるとか。

 はたまたトンファーなど、ホントに珍しい得物を持っているなら・・・話も判るのですが★
「・・・え? 今持ってるこれってただの木刀(!)なんですけど、これがアナタ・・・そんなに、ホントに珍しいんですか?」
 という事も、ありました。 ( ̄_ ̄ i)

 いま一番困っているのは、知らないうちに誰かが、私の動画を撮っている(!!)という事です★
 打ち合わせの折、私が何かを説明していたりすると、まったく何ら関係の無い(!)
 「知らない誰かが、私に許可も取らず」に、撮影をしていたりして★ 😅💦

 これが今まで通っていた道場や稽古場でなら、あり得ない出来事だったのですが。
 私がする打ち合わせだと、たまたまその場は「ただの飲食店」でだったりしてしまうので、ちょっと困りものなのでした。 (^◇^;)

●世の中で一人になってみると、自分の立ち位置がわからなくなってしまう事があったりで。

 何だか私は、何となく追い詰められてしまったような、ヘンテコリンな気持ちになるようになったりしました。
 「映像撮影を拒否する」にしても、何かのポイントがないとなぁ~・・・とも、思うようにもなりました。
 いつもいつも、下の写真のようなポーズをしているわけじゃなし★

 なんで人は私の映像や写真を撮ったりするんだろうか・・・。
 そんな事をつらつら考えるようになり、ハタとこの間、こんな風に思うようになったのです!
「・・・そうか、私はもしかして、多摩川のアザラシ☆になっちゃったんじゃなかろうか?」

●調べてみますと、あれは2002年の事でした。

 突如、大海原に暮らしているハズのアザラシが、何故だか多摩川☆にやって来ました!
 ・・・あの、タマちゃん事件ですっ。 (〃∇〃)
 タマちゃんは結局、その後は神奈川や埼玉の川などを渡り歩いた後で、半年ほどして行方が知れなくなりましたが、多摩川流域だけでなら、市民権までが得られてしまったという・・・あのタマちゃん☆です。

 タマちゃんは、大海原で暮らしている時には、特に誰にも気にされることはなかったハズです。
 ・・・それが、好奇心からなのか・・・?
 はたまた、ただの気まぐれだったのでしょうか。

 よく判りませんが、流れ流れて多摩川へとやって来た途端!
 人には騒がれるわ、写メはもちろん、動画はバンバン!
 特別住民票が得られたばかりか、タマちゃんを題材にした歌まで多数作られたと聞きますよね。 😅💦

●私は、そこまでの人ではないのですが★

 人さまが知らない、わりに興味のあるようなモノを、扱っていたり、珍しいモノを持っていたりします・・・。
 それも、これは全く(!)自慢ではないんですけど、例えば武器なら、その歴史から使い方までも、幾つかの方面からお話できるので、けっこうに幅が広いんです・・・。

 それは、お師匠さんのおかげかと思いますが(!)
「・・・ようするに皆さん、私の事がただひたすらに、珍しかった!んですかね・・・」
 と聞いてみますと、また皆さまが「そうよ♡」とお返事をして下さるようにも、なりました・・・。 😅💦

●たしかに、林先生が亡くなって、今年で丸2年!

 私は「自分の今までのスキル」を今のご時世で、どのようにすれば・・・皆さまに喜んで戴けるのか(!)
 そこをまた、経済活動にのせられるのかばかりを、考え続けて来た日々でした。
 今もそれは模索が続いておりますが・・・そんな折、突然ですが、兄が旅行に(下の写真は、九十九島)連れて行ってくれる☆ことになりました♡ (^_^)/

 ・・・何しろ、父が亡くなってウン十年!
 父は当時は、1人で会社経営をしてましたし。
 ホントにある日突然入院をして、その翌日には亡くなってしまいました。(写真は、会社創立時の父・後ろの列真ん中)

 なので、父が亡くなってからのウチの家族は、こと「会社を運営していく」という面においては、とてもしんどい思いを長らく続ける事となりました。
 ・・・それでも何とかウン十年間(!)
 会社が継続できたという記念に
、場所も私が選んで良いから行ってみようか、という話になりました♡ o(^▽^)o

●前回に行った九州が何だか、とっても良かったので♡

 今回も私は、九州をリクエストしてみました。 (^_^)/
 兄は色々と考えてくれて、大自然とふれあう部分と、楽しい部分。
 そして歴史に触れる部分を兼ね備え得た、ステキな旅行プランを企画してくれました。

 まずは長崎に行って、ハウステンボスで夜景を眺め。
 翌日には鹿児島の雲仙に行って、「ちょうど雲が山頂から、滝のように落ちてくる光景☆」にも巡り会えました♡

 ・・・ホントに、刻々と周りの景色が変っていって、今自分の生きている状況が今後、これほどにも変っていくのかもしれない・・・なんて、ちょっと詩人っぽく考えたりしちゃいました☆ (^▽^;)

●また軍艦島にも、行ってみました。

 世界遺産になった事は知っていたのですが・・・。
 「歴史的背景を踏まえながら」見ていると、なぜか・・・林先生の事が思い出されました。

 ある意味、林先生は日本高度成長期の中を、殺陣を武器に生きてこられたお方でした。
 ・・・軍艦島は、今は廃墟でありますが、先生が亡くなられた後の私は「殺陣の講師の仕事」も離れる事にもなったので、そこはそれなりに必死でした。 😅💦

●・・・林先生もそうですが、父もそうです。

 父は元号で言うなら、「昭和に産まれて、昭和で散っていった人」でした。
 雑誌出版社の広告という仕事に生涯携わり、高度経済成長の中を、あれやこれや、たくさんの新聞や雑誌に、商品の広告原稿を作って掲載しては、営業を続けて・・・。

 そして、はや日本のバブルが崩壊したとは言いながら、まだその残り香があるうちに病気になり、3年ほどの闘病をして息を引き取りました。
 軍艦島の姿が、父や先生の生き方を何とも表しているようにも思えて、切なくも苦しいような、痛ましいような・・・。

 そして、これはとっても残念な事だったんですが★
 晴れ女☆の私が、軍艦島には何故か、天候不良の為に上陸がかないませんでした・・・。
 うーん、残念! (>_<)

●はてさて。

 前回の九州旅行は、壱岐島で縄文の建物やら、弥生文化に触れる旅だったんですが・・・。
 今回は五島にも行きまして、キリシタンの歴史を学んできました。 (^_^)v
 ・・・以外に五島には、お寺さんも多くて、実は教会よりもお寺さんの方が数が多いのだとか。

 夜になれば、居酒屋に足を運んで、
 「九州の魚には、ハズレなしっ!」と叫びつつ、兄と2人、新鮮なお魚など楽しみました。
 ・・・今回の旅で一区切り、また新しい時代を何とか、どうにか生きなくてはならない・・・。

 そんな事を考えつつも、勧める人があって、この11月はとにかく、事務所のそこかしこを片付け、断捨離をしたりで12月に向けて、そして来年に向けての新しい布石を、とにかく、今を大事に(!!)・・・丁寧に、生きていこうとも、思う私でもありました★ (^▽^;)
 (2017.11.30 文責・山野亜紀)


 〇2017年11月のお膳

☆「たどり辿って山のイモ、サケ愛されている日本人!」~霜月の旬エッセイ(2017年)

◎11月のお膳(2017年)

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