●2015年の8月の頭から20日過ぎまでは、たしかに酷暑でした・・・。
そこを過ぎると、いきなり秋っ⁉
9月に入ってしまえばプールどころか、琵琶湖をひっくり返したような局地的豪雨が降ったりして、ただただ、もう・・・ビックリ仰天の昨今ですが、いかがお過ごしですか?
・・・はてさて。
毎年恒例、8月にはささやかですが、実の兄と2人で短い旅に参ります。
お盆とお正月はもちろん、今は亡き母が生きていた頃は、秋の紅葉狩りにもちょこちょこと出掛けたものですが。 👀
・・・私こと、山野亜紀渋谷で生活をする(2015年9月現在★)ようになってからは、年に2回の旅行のみになりました。
●ところで私の兄は、筋金入りの鉄道オタク「乗り鉄」でございます★
なので今回は、私の言葉を待たず早速にも、せっかくだから北陸新幹線に乗りたい(!)と、言い出しまして・・・。 😅💦
まぁ、いいやと思ってしまったのが、運のツキ★
2泊3日でまさか、県を3つ(!)股がされるとは、思いもよりませんでした。
・・・今回は、そんなお話をしたいと思います。 (^^;;
さて私こと山野亜紀は、どちらかと言えば、山歩きもするのですが、町をふらふらとしてみたり。 👀
山道を1人で歩いていたりしては、通りすがりの旅人たちに、
「貴女はすごい、世界中、どこへでも1人で旅立って行けるよ」
と太鼓判を押された事も過去、ありましたが・・・はてさて★(ちなみに写真は、銭屋五兵衛記念館の、亀がやたらと寄って来る池★)
●朝の6時に東京駅は、銀の鈴で待ち合わせ。
北陸新幹線「はくたか」に乗って、まずは金沢へ。
社内で駅弁など囲みつつ、最近あった事を語らいながら、ビールなどを嗜みます♡
・・・さて兄の旅なんですが、まず大抵は駅でレンタカーへの乗り換えに。 👀
荷物の心配もなくてラクなんですが、黙っていると、どこまでも走って行ってしまうので(!)
・・・一体どれ程の距離を移動しているのか、地理オンチの私には、全く見当が付かないところが、悩みのタネなんです。 (^_^;)
金沢駅に着き、まずは近場の「石川県銭屋五兵衛(通称・銭五)記念館」へ参りました。 👀
銭屋というのは商号のようで、その商家を移築して再現♡
・・・なんでも、もともとが豪商(!)だったのに、越前町から味噌屋町へ移ったのを記念してか、さらに(!)古着屋と呉服商まで始めちゃったんだそうです。 😅💦
なので、益々とお家は栄えていったんだそうですが、ある日、五兵衛さんは質流れの船を手に入れます。 (゜-゜)
この小さな小さな船が切っ掛けとなって、世界に繰り出す密貿易人(!!)へと成長していくのでございます・・・。 ( ̄_ ̄ i)
五兵衛さんは、お江戸の頃はというと、寛政10年。
十一代家斉の繁栄時代に、その船で大海原へ繰り出すようになりました。 👀
・・・当時の年齢は40を超えていたそうですが、お江戸の頃は「人生、50年~♪」の時代ですから、もう相当な壮年だった事と思います。 😅💦
この小さな小舟から始まって、やがては北前船へと成長し、それを何漕も扱うようにもなっていきます。
●ところで、北前船といえば流通★
現代なら、陸路を走るトラックやら列車、そして飛行機などが主流なんですが、お江戸の頃なら馬や船、あとは人の手しかありません。(^^;;
帆船の北前船は、お江戸の津々浦々の港を走り、どこかで安い荷を買い付けては、またどちらかの地で高く売りつけ、商いをしていきます。 😅💦
・・・もともと大金持ち(!)なのに、こんなボロ儲けアイテム(!)を手に入れてしまっては、かの名高い座敷わらしすらも太刀打ちできません。 (^_^;)
そんな・・・銭屋さんでしたが、遠洋に繰り出すようになった折(!)とあるロシア船に巡り合います。 👀
どうやら、食べ物が欲しい様子なんですが、この人に何かを与えてしまうと、当時のお江戸は鎖国制度★
銭屋さんは、「密貿易人として、打ち首」にされても文句が言えません。 ( ̄_ ̄ i)
●ですが、銭屋さんはそれに応じてしまいます。
相手は、その金品に見合うモノとして「物々交換がしたかった」ようでした。 👀
・・・こうして銭屋さんは、「よその国の人との取引」を学んでしまいます・・・。
これを切っ掛けとして、当時の日本人としては、絶対に許されない新天地への大冒険へと誘われてしまいます。
フィリピンやアメリカ、そして・・・ホントかは判りませんが、オーストラリアにまで、船を駆り立てて行ったというから、驚きです。 (^_^;)
●・・・これにはこっそり、金沢藩のお許しがあったからこその出来事。
金沢藩、巷では「金が摂れるから、豊か」なのだとばかり、私こと山野亜紀は教えられて来たんですが、実はちゃっかり、こうした密貿易を経て、大枚の上納金を受け取っていた(!)のですね。 😅💦
一国一城の御触れが出ていながら、金沢城の他にもう一つ、幕府にナイショでお城を持っていた事が、先日の「ぶらタモリ(NHK)」で放送されていましたっけ。 (゜-゜)
・・・ところが、こうした銭屋さんの行いは、幕府に見つかったら「御家取り潰しの憂き目」に遭う事はもはや、判り切った事です。
政変の礫で、銭屋さん。
こうした自由な旅が、出来なくなってしまいました。 (>_<)
●こうした事から銭屋さん、「世界を見る眼」を持つようになり。
人々の為に、飢饉を心配しては「サツマイモの栽培を奨励(!)」したり。
のちには、河北潟干拓を開墾して、水田を作るなる大改革にも発展していきました。
・・・秋田の八郎潟ではありませんが、池を埋め立てて、巨大な水田を作れば、飢饉の折のどれほどの民が救われるでしょうか。
銭屋さんは、息子の助けもあって、まずは理解者を増やして開拓を進めていくのですが・・・なんと(!)
何故か、開拓中の池の中の魚や鳥達が、どんどんと死んでいきます。 (>_<)
「これは、銭屋が毒を池に投げ込んだに違いない」
そんな噂が出て、銭屋さんと息子が捕らえられてしまい、銭屋さんは獄死(!)
息子さんと、確か庄屋さんは、磔の刑に処せられてしまいました(!!)
・・・何故、池の生き物が立て続けに死んでいったのか、今もって判らないんだそうです。
ただ、何らかの理由で「池の水が、劣化した」のではないか・・・という見解も。 👀
ところで北前船といえば、この「和心きらりエッセイ」でも、そちこちに名前が出て来ますよね。 👀
歴史と調べモノが苦手な・・・こんな、私こと山野亜紀でも(!)
少しは知恵が出来てきたようで、本人的にはちょっと、やっただけの事はあったかな、的な気がして嬉しかったです。 😅💦
●さて、気を取り直して銭屋さんを出てみると。
そこには、ヤマト醤油・味噌の製造工場があるようです。 👀
味噌蔵や醤油蔵が立ち並んでいて、そちらでお食事も出来るようす♡
発酵食美人食堂なる処で、発酵食美人ランチを、兄妹で戴く事に致しました。ヽ(^◇^)ノ
・・・ちょっと変ってますが、名物の寝かせ玄米が美味しくて、兄はお代わり(1杯まで出来ます♡)までして、食べていました。 😅💦
それから、銭屋五兵衛さんの御友達だという「からくり名人」の、大野弁吉さんの「からくり記念館」へと参りました。 👀
実際に触って楽しめるカラクリが幾つもあって、それなりに楽しめるんですが、「開かない小箱」などを手に取ると(それがまた、試せる箱の数が多くて★)、旅先で時間が掛かるのでつい、イラッ・・・としてしまいました。 (^^;;
●けっこう現地で楽しく遊んで、それから源義経で有名な安宅の関跡に行きました。 👀
例の、歌舞伎でも有名な勧進帳の下りの彫刻があちこちにありまして、テレビで見たハズなのに、ストーリーの細かい処は、すーっかりと忘れていたんですが★
「安宅の関」というのは、安宅の御寺に仮りに設けた関所だったのですね。
・・・こうした罠をしかけておいて、源頼朝は義経一行を、じわり、じわりと藤原一族の許へ近づけていったという下り。 ( ̄_ ̄ i)
安宅の関所の裏側というのがまた、ステキな砂浜でありまして。 😅💦
一瞬泳ぎたい誘惑に駆られましたが、このまま宿へ行くと言うのでホクホクしていると、そこからまさかの一時間の車旅っ! (^_^;)
・・・宿に到着する頃には、世間は大分に黄昏て来て、夕食までの30分程度しか期待の温泉が楽しめずで、ちょこっとガッカリ★
宿の湯船が狭いので外湯に出たのですが、こちらは、朝風呂はやっていないんです。 (T ^ T)
せっかく、お金を払ってまで入ったのに・・・トホホ。
でも、兄のおススメの白峰温泉総湯は、「絹肌の湯と呼ばれる、貴重な重曹泉」なんだそうで、肌にまったりと纏わりつくようなお湯で、宿の御食事も岩魚フルコースで、ホントに楽しめした。 (^_^)/
暑かった東京から脱し、気温は20度前後。
身体の中に溜まりまくった熱が出てゆくようで、ホントにシアワセでした♡
そして・・・翌日はまた、1時間という時間を掛けて再び、金沢から電車で旅立つ予定なのでありました・・・続く★
(2015.9.1 文責・山野亜紀)
〇2015年9月のお膳