●日本最古の歴史書である「古事記」にも、その名前があるという大豆です。👀
今回のメイン食材の枝豆は、その大豆が未熟なうちに茎ごと切り取って収穫したもの。
さやのまま茹でて食用にする他、育った豆はそのままはもちろん、かて飯として米に混ぜて食べたり。
豆腐や湯葉、雪花菜(きらず・・・おからの事)にしたり。
マメ科の植物はとにかく、肥料が乏しくてもよく育つと資料にあります。👀
そんな大豆は、原産地が満州らしいです。
日本には弥生時代の頃、朝鮮経由で入ったと言われ、
古事記には、食物神が産み出した五穀の中に、その名があります。
●また豆の種類は、3種類あります。
シロマメは、「ふじっこのお豆さん」などの商標で、よく見かけるモノです♡
昆布なんかと混ぜて、「オカズの煮豆」として売られているタイプ。
この方はまた、味噌になったり、醤油になったりで大活躍(!)
納豆や豆腐にもなるので、私的には一番お世話になっているお方です♡ (^_^)/
またクロマメは、日本のお正月に食べるご馳走、
「お節」にも入っている、マメで達者を祈るアレですね。👀
マメの中でも味が良いそうで、煮豆によくするとあります。
その他、アオマメは色がキレイなので、豆粉やお菓子に使われる事が多いそう。 👀
仙台藩祖・伊達正宗が考案したとも言われるアオマメ使用の「ずんだ餅」は、有名ですよね。
アオマメ、つまり枝豆を潰して作る「あんころ餅」です。
●弥生時代に伝来した大豆も、調味料になるまでには、ずんぶんと年季が必要だったみたいです。
平安や鎌倉時代までは、味噌は食品につけるか、そのまま食べるモノだったみたいです。👀
今でも、そのまま食べる味噌は「嘗(なめ)味噌」と呼ばれ、怪山寺(きんさんじ)味噌が醸造系。
それとは別に、加工をしたものは・・・上記のようなものや例えば、鯛味噌、鉄火味噌のような形で、これは混合味噌の部類に入るそう。
●そのままで食べていたのが、調味料になったのは室町時代に入ってから。
日元貿易(モンゴル)と日明貿易(中国)が日本にもたらしたモノは、当時はとても大きかったんだそう。👀
それから江戸時代に入り、いよいよ多くの調理法が工夫をされていって、和食文化が花開いていくのですが、
その基本的な食材は、室町辺りで整った、と資料にあります。
その当時は「語学と儒教を武器」にして、その当時に禅僧が多く留学をしたそうですが、
食材はもちろん、調理法までも、多くかの地より持ち返ったのだとか☆
・・・殺陣師である私的には、「日本で一番古くからあると言われる、剣術流派の香取神道流」もこの時代に創始されていたので、なんだか室町っていやすごい、やるなと今回、改めて思いました。 (^_^;)
さて、これらの大豆がまた「味噌から醤油になる」までには、長らくの歳月が必要になる訳ですが★
農家ではこれって、家で作る事が多い調味料なんだそうです。
・・・基本的に、大豆と塩と麹(他に米や麦とか)で発酵させて作るモノなので、環境が整えばどこでも作れるのかな、とは私こと山野亜紀も思います。
●でも、戦国時代辺りまでは、味噌の原料になる大豆が「軍馬の飼料」として優先的に使われており・・・★
それがまずは、徳川家康が天下を泰平にして(!)
それから江戸が、まずは泰平な世の中になって、大豆の生産量が増えて、街道とかも整備をされて、それから市中に出回るようにもなるのって・・・。
長~い歳月をかけて、ようやく(!)
やっとの思いで「味噌汁」が、庶民の食卓にお目見えできた訳ですよねぇ・・・★ (T_T)
江戸の庶民は、農家とは違って長屋住まいですから★
台所も狭くて、とても味噌を仕込むスペースなんか、長屋にはありません。
お店屋さんで買うしか、ないんですよねぇ・・・。 (゜-゜)
「御御御汁(おみおつけ)」と読んで賞味された、お味噌汁。
・・・それは、この時代の庶民の「スーパーヒーローレシピ」だった・・・。
美味しいモノを食べたいと思えば、まず平和から。
この一点に始るのだなぁと、しみじみと感じた・・・大豆への旅でした。
(文責・山野亜紀 2013.6.1)