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第26話 「日本人には、桜があう(!)」(2015年7月)

●私こと山野亜紀が、実家から東京都は23区の渋谷区に越して来て、今年で5年目になります。 👀

 ・・・こちらに越してくると氷川神社がまずあって、そのお隣りさんには、お寺さんがあってお墓もあり・・・。
 どちらも桜の時期はキレイで、毎年夜桜見物も楽しませて戴き、ふらふらと過ごして参りました。

 さて広辞苑サンによれば、はバラ科サクラ属の落葉高木、または低木の一種。
 梅や桃、杏なんかも、同じサクラ属の木なんだそう。 👀
 中国やヒマラヤにも数種あるけど、日本が最も品種が多いのだとか♡

 ・・・ついつい、桜といえばソメイヨシノばかりを思い浮かべてしまう私ですが、これは皆さまご存知の通り、江戸の末期に、染井村(豊島区)で植木屋さんから売り出された品種だと資料にあります。 👀
 ヒガンザクラ(写真・下)と、オオシマザクラの雑種に分類されるモノらしいです。

●それでは江戸以前の頃の桜は、どんな品種が多かったのでしょうか。

 日本の山野には、「ヤマザクラ」や「オオシマザクラ(ソメイヨシノの元)」、その他「カスミザクラ(別名、里桜)」などで、こちらが「ヤマザクラ系統」。
 その他には、「チョウジザクラ」、「マメザクラ」、「ミネザクラ」がもともと日本に自生していたのだそうで、その後で(!)
 中国大陸から、台湾原産「カンヒザクラ」もやって来て、暖地に植えられていったんだそう。 👀

 日本のお花見は有名ですが、過去を遡ればその一代イベントの出発点は、「豊臣秀吉の吉野の花見(!)」らしいんです。
 この時、秀吉が眺めていたのは、ヤマザクラなんだそう。 👀

●ちなみに・・・なんですが★

 古くは「古墳時代から、奈良時代までを股に掛けて」なんと、350年間(!)
 あらゆる類いの歌を集めた歌集で、現存最古の「万葉集の時代」では、桜を詠む歌より、梅を詠む方が多く(当時は白梅のみで、紅梅はなかった★)

 平安の時代になってからは、紀貫之さんが編纂したという歌集「古今和歌集」になると、今度は「桜の歌」の方が多くなっているとか。 👀

 平安のお公家さんも、「もちろん、お花見を嗜まれた」そうなんですが、もともとは旧暦の3月3日(新暦だと、4月8日頃)に、 「老若男女が地域の決まった山に登っては、飲食をして楽しむ行事」だったんだそう。
 この時代での花宴・花見は全国的に、豊作や長寿への祈願が込められた儀礼の一つだったんだとか。 (゜-゜)

●何でも、サクラの「サ」は稲田の神霊を。

 「クラ」については、「神霊の依(よ)り鎮まる座」を意味しているそうです。 👀
 ・・・春になって、新暦の4月となれば山登りの足元も大分に良くなってきている時期ですよね♡

 平安の頃ならまだ、日本の人口も少なかったことでしょう。
 みんなで誘いあって山へ登り、花を見上げて「今年1年、皆が健康で何より、豊作でありますように」との、祈りの儀式であったという事です♡ (〃∇〃)

●・・・それから、800年くらいの時も、流れてしまえば★

 お江戸の頃になると、花の名所は人工的にそちこちに作られて、今の世の私達にも、その花で楽しませてくれます♡
 ・・・戦もなく、平和が続いたお江戸の当時は「一大園芸ブーム(!)」が巻き起こっていた(!)んだそうで★ 😅💦
 武家の家を継ぐ長男はともかく、次男や三男では婿に行くか、それも出来ないなら一生を長男の世話になって生きるかの、二択しか生きる道がありません。 (^_^;)

 そんな時には、この園芸ブームに乗っかり、例えば「朝顔の品種改良などをして、植木屋まがいの仕事をすれば、冷や飯食いにも良い小遣い稼ぎになったと、資料にあります。 👀
 駒込や巣鴨、染井(どれも豊島区)の植木屋達が、競ってこの園芸ブームの中心にいました。 (^_^)/

●そんな折、渋谷区に住んでいた私こと・・・山野亜紀なんですが。

 引っ越してから数ヶ月、ちょいと近所を探索にと自転車をこぎ出した処、事務所のすぐ裏辺りに、「塙保己一資料館」なる建物を発見致しました。 (゜-゜)

 入口の看板には、斎藤茂三郎初代理事長を筆頭に、渋沢栄一、三井八郎などなど、歴史の苦手な私でも、見知った名前の一つ二つが。 😅💦
 ・・・見れば入館料「100円(!)」という事で、面白半分ながら、拝観してみる事に致しました。

●そう言えば、この近くには国学院大学があります。

 ・・・この辺りは地域的に、蘭学よりも国学に親しいお土地柄でもあるよう。 👀
 建物の中でお話を聞いてみますと、お江戸の9代将軍家重の時代に塙保己一(はにわ・ほきいち)は、今の埼玉県本庄市に産まれたのですが、7歳の時に肺の病で失明(!)してしまいます。 (>_<)
 それから紆余曲折あって、今度は11代家斉将軍の頃に、日本の様々な国学書物を編纂した「群書類従」をまとめ上げるのです。

 ・・・何しろ保己一は、盲目のお方です。 👀
 こんなにたくさんの書物(!)を「まず、誰かに読んでもらって」からの、全てを脳裏にインプット(!)
 要らない書類は削除して、必要な書類は整理整頓、国学として書物にするには、またもや「誰かに、言い述べた事柄記載してもらい」。

 それを書物に起こすには、「誰かに、お金を寄贈してもらい」、「誰かが版木を彫り」、「それに墨を塗って、誰かが印刷して和綴じの本に装丁」してもらうという、実に気の長い作業が必要になるのでございます・・・。 (^_^;)

●見ればこの書物は、「聖徳太子の時代から始まる」そうで★

 なので、とある時代なら漢文だし、平安の頃なら平仮名が出来てきたので、草書体に。 👀
 ・・・さまざまな時代時代の書物(というより、版木★が、全国のあちこち、散り散りになっていたのを昭和2年に、渋谷のこの土地まで全て(666編)を集められ(!)、今もこの地に1編も欠けずに残されている・・・とか。 ( ̄▽ ̄;)

 途中、大正時代の関東大震災の折には、倉庫が倒壊しはしましたが、版木の方は何とか災禍を逃れ。 
 この地に移るも、東京大空襲の折には、斎藤茂三郎さん達が(貴重な版木が焼夷弾で燃えないよう★)必死の消火活動で守って来られたのだそう。 (>_<)

 そしてこれらの版木は、全て桜の木で作られている(!)んだそう。
 ・・・古来より日本では、桜は造船の材料にも良いとされていたそうなんですが、版木にも最適な材料なんだとか♡
 彫る時には堅くて難儀なようですが、一度彫って仕上げてしまえば(!)
 日本の、この湿気の多い時節をも耐え抜いて、その形を崩す事がありません♡ (^-^)

●ちなみにこちらの書物は、今や電算でパソコンの時代なれど。

 大学の先生なんかが、「生の資料を見たい!」
 ・・・はたまた、書道を嗜む方が資料にしたい・・・などなど。
 請われるならば今も、墨を塗って印刷、書物にして綴じて販売をしておられます♡

 ・・・そう、お江戸の頃から生き続ける版木達は、今も現役(!)なんだそう♡
 ずーーーっと使われ続けているからこそ、カビも生えずに666編!
 一編も欠けずに皆さま、元気にお暮らしになっておられるのだそうです♡

 私こと山野亜紀が手掛けた芝居のチラシやパンフレット、DVDのパッケージなどのデザインをして下さっている本永惠子さんのお話によれば、デザイナーの物差しも桜の木が使われていたんだそうです。 👀

 日本のこの湿気、四季に負けずに「素材が伸びたり、曲がったりしない桜の木」は、国花としてだけでなく、日本人にはもっと密着な存在でありました♡
 なんだかカンドーして、すっかり感じ入ってしまった・・・私こと、山野亜紀なのでありました。 (^-^)
 (2015.7.1 文責・山野亜紀)


 〇2015年7月のお膳

〇そば粉のガレット

☆「カンパチ入れずに、オクラいり(?) 粋じゃないかね、日本人★」~文月の旬(2015年)

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