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第20話 カモ、鴨ン! エブリバディ☆(2015年1月)

●2015年が、明けました~♡

 「和心きらり」、2度目のお正月を迎えて、レシピ数も250を超えました(!)
 ・・・このHPを始めた当初は、まず半年続けば良い方か、ナ~・・・なんて思っていたんで
すが(!)
 始めたら、けっこう面白くて着々と続いちゃいました。 (^◇^;)

 2015年は、4年という歳月を過ごしたマンションともお別れする事も決めましたし。
 また春先には、バタバタッとしそうな予感もあります。 😅💦

●さて、旬エッセイでもお話をしました・・・私こと、山野亜紀です★

 昨年の1月は、旬食材「タコ(!)」だったんですが、せっかくお正月を迎えたんだから今回くらいは、ちょこっとだけ贅沢な食材を扱ってみたい★ (゜-゜)
 ・・・とはいえ、一体どんなモノが今の時期の旬食材なんだろうと私、悩み抜いておりました。 💦

 旬食材は、「食材カレンダー」のHPなどを参考にして、私自身が選んだり。
 時には、井田先生に選んで戴いたりもしているんですが、こういったHPって、一般に流通している食材しか扱っていない感が私にはありまして。 😅💦
 「ちょこっと特別食材」を選んでみたい時には、こちらもあんまり・・・役には立たないようにも感じます。  (^_^;)

●そこで今回は、カメラマンに相談してみました。

 そして今回は、目出度くも「鴨」特別旬食材の地位を獲得致しました☆
 高級食材を扱うお店なら、冷凍のモノを年中置いていたりもしますが、私こと山野亜紀が足しげく通うスーパー辺りでは、旬のこの時期しか扱っていなかったりします★
 ・・・というより、ほとんど見かけない。(-“-)

 私の好物♡という事もありますが、今回のお料理撮影はとにかく楽しみで、るんるんしながら撮影場所の吉祥寺まで足を運びました♡ (^-^)

●・・・はてさて。

 旬エッセイでもご紹介をしていますが、鴨さんは縄文の世から日本人が愛し抜いて来た食材(!)のようです。 👀
 何でも室町時代までは、野鳥といえば雉(きじ)や鶴雁(がん)に白鳥が主流(!)・・・だったとか★ (-_-;)

 その時代では、ただ単に「魚」と書かれていれば、それはを差し★
 「鳥」なら「雉」だったんだそうですが、そういえば「童話・桃太郎」でもお供が雉だったような・・・。 (^_^;)
  豊臣秀吉鶴を食べていた(!)のは、けっこうに有名なお話なんだそうです。 😅💦

●ところが江戸期になると何と、鶴は「禁鳥」になってしまいました!

 白鳥も、その数がぐっと減ったとかで、その代わりに鴨をよく使うようになった・・・とも資料にあります。 (^_^;)

 徳川家康が江戸に入った当時といえば、まだまだ江戸城も荒廃した小さなお城で、この地も、民家もまばらな荒れ地だったのだそう。 (´_`。)
 この当時に書かれた大道寺友山(江戸初期の武士で、兵法家)の「落穂集」によると、武家や町家を問わず、下々の食べ物としてはより上等なモノはなかったのだとか★

●・・・たしか日本は仏教国で、余り獣肉に当時は嗜みがなかったハズだけれど★

 上記の落穂集によると、「特に冬となれば、犬は見つけ次第に打ち殺して食べてしまう(!)のだ」そうで、五代将軍・綱吉の頃までは、四谷には猟師の市が立っていたそうな。 👀
 ・・・これで、鶴と白鳥はやられたな・・・★
 なんとなく、そんな事を思ってしまう・・・私こと、山野亜紀なのである。 (T ^ T)

 獣は余り食べないけれども、割に鳥はよく食べていたという・・・日本人ですが。
 今では当たり前に食べているニワトリも、戦国の辺りでは「ニワトリは、(勝ち)時を告げる神聖な生き物として意識されていたので、戦国武将なども、あまり食べる事がなかったんだとか★ 👀
 ・・・かような訳で、卵もそうは食べてはおらず。
 侍同士の饗応料理の辺りでも、少ない卵を薄めて伸ばして、みんなで食べられるような調理法を取っていたそうですね。 (゜-゜)

●ただ「鴨は渡り鳥なので、シーズンがあります」よね。

 食用として喜ばれているのは、真鴨なんだそうですが、中国で「鴨」といえば「家鴨(アヒル)」を指すそう。 👀
 アヒルは、鴨を改良して飼育できるようにした品種だそうですが、室町の頃に中国からやって来て、日本でも飼育されるようになったとか★

 ・・・ところが、鴨の脂肪には独特の臭いがあり、それを嫌がる御仁も多いのだとか★ 
 なので今は、その辺りを改良♡
 「真鴨とアヒルを掛け合わせた、アイガモ」が市場に出回っているのは、皆さまご存知の通りです。 (^-^)

●さてニワトリも卵も、江戸期に入ってからなら、庶民もよく楽しむようになったと言います。

 吉原で遊女を買う時などは、「ここ一発の、元気が出る商品♡」として、茹で卵を良く買い求めては食べていたとか。 👀
 井原西鶴の描く江戸の世では、鴨はよく庶民にも食べられていたようで、鴨汁の他に鴨煎(かもいり、つまり炒めモノ)、鴨鱠(かもなます・・・つまり、鴨刺)に鴨飯・・・などなど。
 変わった処では、鴨を挽いて、ところてんのように突いて出した鴨そうめんなどが江戸の頃の料理書に紹介されています。

 そういえば、西鶴といえば、一番活躍をしたのが五代将軍・綱吉の頃。 👀
 鴨といえば、お蕎麦屋さんで鴨南蛮を良く見かけますが。
 この辺りで蕎麦粉に、小麦粉などのツナギを使って打った、現代のようなお蕎麦の形になったとか★ (゜-゜)

 蕎麦
は、やせ地でもよく育って、成長も早い♡
 ・・・そんな処から、救荒作物として当時の人々に愛されていた蕎麦なんですが、平安初期に書かれた書物「続日本記(しょくにほんぎ)」にその名を見る程に、日本人との付き合いは古い(!)
 平安の当時は、蕎麦の新芽を食べるのはもちろん。
 その種実は、皮を剥いてから米に混ぜての蕎麦粥や、蕎麦雑炊として食べるのが主流だったようです。 👀

●それが、蕎麦を挽いて粉にして、熱湯で練り上げて食べる蕎麦がきや、それを丸めて焼いた蕎麦餅にまで発展(!)

 味付けには、味噌や、甘蔓(あまづら;当時の甘味料)を使っていたようです。 👀
 それがいよいよ、今の蕎麦切りの形になったと言われているのは、二代将軍・秀忠の時代。
 何でも、近江多賀神社の社僧の慈性(じしょう)さんが、江戸の堂明寺でご馳走になったなる記述が「慈性日記」に書かれているんだとか。
 ・・・もっともこれは、まだ蕎麦粉だけで打ったもので、水かお湯、はたまた、餅の茹で汁かなんかで捏ねていたモノだったとか★

 
 蕎麦切りは、「初めの頃は、蒸して食べていた」のは皆さま、ご存知の通り。 👀
 何故って、その当時の製粉技術では、茹でると切れてしまうからだとも言われているそうなんですね。

●四代将軍・家綱の頃には、お江戸では「けんどんそば切り」なる店が出来ました。

 こちらは、下々は食べるけれども貴人は食べない、大変にゲスな食べ物(!)として、蕎麦は扱われていました。
 よしず張りで、戸板の上に黒椀に盛って出していたそうで、初めは菓子屋の副業として売られていたんだそうです。
 ・・・お菓子屋なら、蕎麦粉や、小麦粉なんかも扱っていたからでしょうか。 👀

 これがやがて蕎麦屋の専業になっていき、上流階級にもどんどんと広まって・・・♡
 こうなると、今までの食器もしょぼいというので、「大名けんどん」と呼ばれる、螺鈿細工の器までが出てきたというのだから、笑ってしまいますよね。 (〃∇〃)

●ところで、この当時の蕎麦ツユって、味噌だまりと大根の絞り汁に、削り節が使われていたそうです。 👀

 これが、醤油の普及でまた、変わっていきます。
 江戸も下って、九代将軍・家重の頃になると、しっぽくなどの種物の種類も増えて、おそらく鴨南蛮も、この頃からでしょうか。
 蕎麦粉の中に練り込む鯛切や海老切、胡麻切や茶蕎麦などの変わり蕎麦も始まりました。
 「雛の節句には、五色蕎麦で祝う」など、どんどんと生活に定着していきます。

 大晦日や引っ越し、お正月の帖綴じ。
 ・・・これは、江戸の頃の商家は、新年に帳簿類を新しくしたから。
 大入りやら、廓での布団の敷初め。
 舞台での失敗は、楽屋への「とちり蕎麦」などなど、とにかく四季のけじめや祝儀に不祝儀にと、活躍をしていたんだそうです。 👀
 ちなみに西の方では、蕎麦だけではやっていけなかったので、うどんも扱っていたのだそうですが★

 ・・・2015年も、こんな感じで始まる「和心きらり」ですが、楽しんでいただけますよう悩みつつやっていきますので、どうぞよろしくお願い致します♡
 (2015.1.1 文責・山野亜紀)


 〇2015年1月のお膳

☆「鴨は縄文、春菊は江戸だよ、日本人」~睦月の旬エッセイ(2015年1月)

〇バジルとドライトマトのプチロール

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